新しいバッグが欲しい

一皿のカレーを食べるのに1時間半かかってしまった。なんかもういろいろダメになってしまった。食べ放題かよ。

 

ダメになってしまったので居間に布団を持ち込む。QOS(クオリティ・オブ・スイミン)が向上しそうだ。寝る子は育つというが、ぼくは育っているか?あなたは育っていますか?

 

ダメになるダメになると思考を右往左往させながら機械的な暖かさと科学的な暖かさに包まれつつ意識を失う。いつの間にか思考は停止し、ダメになったのかもわからなくなる。

 

毎日家にこもりながらも風呂には入っている。まだ救いようがあるのかもしれないし、自ら救っているのかもしれない。温かい。暖かい。おやすみ。

言語とか自然選択説とかグローバリゼーションとか皇室制度とか

和製英語の適当さが大元の言語の性格に帰っただけの話。池上彰から基礎データすら払い取ってしまったような文章。ただ、偏向はしていない。

 

和製英語には省略形(パソコン)とか造語(キャッチボール)とかいくつかの分類があるが、線引きできないような曖昧なものも結構多い。むしろ本来の用法を彫ったカタカナってあるのか?言語というものは日々変化し続けるのだから翻訳に限らずニュアンスが異なって当然、異国の影響を受けての変化が著しくなるのも時代的なもののように思う。

 

「それ和製英語なんだよ」なんて自慢気に指摘する人などいない。指摘されるまでそれが和製英語だと気づかないほどに日本語として浸透している場合はやはり多く、ハッとする人もいるのだろうが、その気づきは和製英語に対してのものではなく、実はすでにわかっていたということに対してだ。

 

違いの存在を認識しているのにどう違うのかが説明できない(意識していない)という、知識を身につける場面においての初歩的な適当さは意図せずとも誰にだってあるだろう。もちろん分類が曖昧なように、開拓部分が残されていないというのもその大きな理由だ。発生を明確にするくらいしかない。多分。

 

ただ、それは理解が浅いからだ、外国人と会話できるレベルにないからだ、とツッコミを入れてはいけない。極東の日本に心情を察してもらう権限などないのは当然として。語彙そのものの量・質は文化やその言語ごとに異なるのだとテーマから外れてもいけない。

 

キリンは首が長いから生き残ったのか?生き残るために長い首を得たのか?

 

今ここで言いたいのは方言が象徴的というか、本質そのものだ。居心地の良い形態へと変化し続ける。時には他言語とごちゃ混ぜになりながら、国内に限定しても京都を目指した地方の大名らによってそれがなされた。その変化、大多数への反対は許されない(逆も然りで新たな言い回しも受け入れられなければ消滅)。ナウが中心にあるある意味乱暴な単語が生まれようとする。

 

この場合耳障りは良いものなのか?悪いものなのか?

自然分娩?帝王切開?

 

くにがまとまれば言語も強引にまとまるだろうか。江戸、東京は一体何の権限があって一方言を共通語として押し付けているのだろう。マジョリティ。

 

言語という恣意的なツールは進化する(してしまう)(させられる)。

 

日本語の定義って?はて、グローバリゼーションとは??

 

 

前時代的な要素を増していくモノに感情的な理由をあれこれつけて残そうとする非合理性は好みだが、この話とは関係がない。天皇陛下万歳!

 

言語についての専門知識があるわけではないので結論はない。無責任すぎる(ここは笑うところです)。

 

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※イミッヂ

何日かかけて食料を貯めておいた。特別今でなければならないというわけでもないがそれなりの用事があったので一週間ぶりに外出をしたところ、喉を痛めた。

 

本を読もうと意気込んだ。意気込んではいけないと今になって思うのだが、時間が有り余っていると怠けてしまうことに二ヶ月ぶりに気づく。予定が埋まっている方が空いた時間が明確になる。

 

一週間も光合成をしなかったから体調を悪くしたのか、軽いストレッチもなく走ったからバテたのかどちらだろう。

 

ポケモンGOが大幅アップデートをするらしい。草タイプのポケモン光合成をするのだろうか。

「栞」は、山道などを歩く時の目印として木の枝を折ることに由来する。「枝折」。wikipedia先生によると「枝折」は当て字であったそうで、いろいろ経緯があったらしいので知りたい人は自分で調べたし。

 

noyo_yrは教科書のページの角を稀によく三角に折りまげるのだが、これこそ直感的な「紙折」なのでは?「栞」にたどり着くまでにワンクッションあっても良さそうな表現なのでは?ただ単行本や文庫本ではやらないしそう表現されなかった所以はそこにあるのかもしれない。紙は貴重だ。

 

ところで漫画に栞が付属しないのはなぜだろう。

ロージンと大海

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新外国人ヘミングウェイ、ハズレ臭しかしない名前ですよね。

懐かしさを具体的に説明できない人

昔懐かしいモノというのはそれぞれ年代や趣味によって異なるが、「懐かしすぎて死ぬ〜〜〜〜」となるのは人類普遍の価値観である(当社調べ)。

 

この「死ぬ〜〜〜〜」という感情は少なくとも語彙が死んでしまったことを指しているわけではないだろう。懐かしさという純粋な心の動きが語彙を崩壊させているのであれば、その結果が「死ぬ〜〜〜〜」に表れて、現れているにすぎない。因果関係を取り違えてしまうよくあるパターンだ。

 

では一体なぜ懐かしさにこれほど感動を憶えてしまうのか。過去の美化による影響が強いと思われる。

 

当時の主観として良かった面のみが記憶に残り、悪かった面が見えなくなってしまう。これもよくある話で、あの人は頑固だったけれどそれもまた性格的な良さであったなあ、などと葬式なんかで話されるといったニュアンスの場面に大抵の人は出くわしたことがあるだろうが、これはその頑固さによる過去の実質的な被害を忘れてしまったからこそ生まれる発言だ。死んでしまったならもう被害を受けることはないし、無理に悪い人に仕立て上げるのも心が疲れるだけとも言える。

 

ただ「死ぬ〜〜〜〜」はここまで大げさな話ではない。良かった面ですら記憶そのものが欠けているだけだ。長年触れ合う機会がなかったのだから当然であるし、その期間が長ければ長いほど感動が強まると同時に記憶も薄まっている。相当の思い入れがあるほど自分の人生にとって重要なモノであるならば、度々思い出して記憶を失わないよう整理しているから語彙は死なない。

 

つまり結論は、「死ぬ〜〜〜〜」となる昔懐かしいモノというのは懐かしさそのもの(または年月)に感動しているのであって、特に当時のそれに対する記憶とは強い関係性はなく、自分でも説明できないだけということです。ショックで語彙が崩壊させられたのではなく、徐々に失われている記憶を語彙の崩壊として認識した部分を勝手に強調してしまっただけのこと。強いて言うならばその当時の生活背景を思い出しているか、オールドファッションを今と比較して楽しんでいるかでしょう。

大谷翔平

1個目の記事で書いたこととやや方向性がずれるような気もするがいきなり野球の話題を。

 

大谷が怪我を理由にWBCへの参加を見送ったわけだが、明らかに判断ミスだろう。決断が遅すぎる。

 

具合を詳しく知らないが、昨年強化試合に出場した時点でWBC本戦に欠場するという現状が一つの結果として見通せなかったわけではあるまい。打者出場のみだったのだから不確定要素は多くて半々はあったと思われる。怪我を自覚した時点で直近の国際試合の優先などすべきではなかった。手術が不可欠であるならば今すぐ取り組むべきだろう。

 

二刀流での活躍を前提としてオフを迎えたはずだと思い込んでいたものだが、ここまでの怪我の軽視となると驚きだ。出場意欲を認めることに問題はないが、やはり、遅い。どっちつかずでファイターズにもマイナス要因を与えてしまった。

 

本人と編成陣との経緯が不明であるからどちらが悪いとは言えない(そもそもどちらに非があるかは問題ではない)が、大谷の意思を尊重することを軸に考えれば、今回のWBCへの参加とメジャーリーグへの挑戦のための土台作りのどちらを優先すべきかは明白だ。

 

今この時期に国際試合に出場すればワンシーズンかけて補うべき将来的に不足している部分を明らかにできる可能性が高まるとの考えのもとに悩んだのだろうが、相手打者の対策を見ることも含めそれは一年間フルでプレーすることが前提である。

 

この段階において怪我を抱えたままプレーすることは許されない。

 

 

とまあ憶測が多いまま文章にしてしまったわけだが2017年シーズンは投打ともに大谷を欠いた状態で2ヶ月は戦わなければならない。迷った結果がこの遅れなのだから、そのコストを受け入れることは避けられない。