サボタージュ

最近のブログ記事、本当にダメ。サボり。書いてないのもそうだけど、中身を外から無理やり引っ張っている。もっと内なる循環というか、読み手に委ねる文章でなければならない。断定してはいけない。

 

その事象について書くのはまだいいとして、自分から探しに行くのではなくて自分に入り込んできたものを出荷しなければならない。養殖モノはダメ。粗悪品。環境を操作しやすいために天然モノより質を高く提供できる魚なんかも種によってはあるらしいが、このブログにおいてはそれではダメなのだ。なぜかというと、そう決めたから。

 

では内側から湧き出る文章とは何か。わからない。思考は必ずしも自由意思である必要はないしそんなことはありえない。あなたは意思と行動が一致していますか?ほんとに自分の意思で決定していますか?その意思は純粋ですか?

 

ただ一つ、書き手の顔が見えるというのは結果として表れてくる。強い断定の主観は読み手から距離が生じてしまう。惰性は読み手が照らし合わせて評価してくれる。もっとも、このブログのアクセス数には気をかけてはいけない。

 

国語の読み物の授業が退屈なのはだいたいそういう理由だ。つまらない。普遍的な核心は響くかもしれないし響かないかもしれない。読みたいところは何回でも読み込んでいいしわからないところはわからないままでもいい。パターン化された授業上では推理小説が適していると思う。というか、一人で読ませろ。音読と発声の機会だけは良い。

 

ゲームをしている場合ではない。撫でる文章をアウトプットするには、固有名詞をできるだけ排除して、耳をふさぎ、よく眠る。

 

2017シーズン

 

北海道日本ハムファイターズ、毎年リーグ優勝できると思ってシーズンに臨んでいるが今年も同様だ。選手一人一人へのコメントをまとめる気力がないのでそれは随時Twitterで書くとして、優勝できると思っている。半分強気だがもう半分は本気で。2016年も全く悲観的なこと言わなかったし。

 

少しマクロ的な話をすると、昨年絶対的な強さの獲得に成功した。底上げ。打線としての各個人のパターン化にしても接戦の終盤で逆転する前後におけるリリーフの強さにしても、とにかく前例を参考にした自信と役割認識が好循環を起こした。相手にも見えるレベルの経験。自軍のみの思い込みや強制の要素は薄く、敵チームのファンの目にも明白なそのパターンの強さは対策や警戒を正攻法ではねのけた。つまり15連勝。パリーグ5球団への勝ち越し。

 

代打を出された大野がベンチで打者を応援し打てばガッツポーズができる強さ。

 

30代に差しかかる前の数年の一番美味しい部分がまだ見られるわけで、生え抜きの恩恵がたっぷりと受けられる。現在の中心選手が全盛期にあり発展途上の選手がレギュラーになりつつある選手編成、大きく言えばドラフト戦略の最大幸福が得られる。ただこの編成は本当に数年で壊れてしまうし現在のメンバーの試合運びを楽しめるのが限られていると思うと辛い。辛抱すべき(チームとしてもファンとしても)はその入れ替わりの時期、ラグであって、2017年ではない。ただFA権獲得選手も増えるし、応援しよう。

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 2017/3/16、ぶれてる。

 

パン屋と和菓子屋

道徳の教科書がパン屋を和菓子屋に修正させたとか、ほんとうにどうでもいい。教科書における例の示し方を「より好ましい(とされる)もの」に変更しただけで、パン屋が愛国心の育成において不適切だと飛躍するのだから救いようがない。その補完すら一切排除し面白おかしく騒ぎ立て、陰謀論に走り出し、すぐに忘れるのだから有害極まりない。他にもいくつか修正点があったようだが、道徳の教科書という誰にでも共通する普遍部分のみをまとめ上げたような正しさの塊に、大衆の総意を基にしたような誰も責任を持てない常識を掲載するはずがない。

 

別にパン屋で問題はないしそこを突き詰めていくのは潔癖で気持ち悪いが、教科書とはそういうものではなかったのか。嘘臭さに自ら気づき実際の回る社会との比較を曖昧ながらも行い、教科書を土台にひとつ賢くなっていくわけで、そういうものである。研修用ビデオに文句をつける人はいない。道徳の教科書の使用頻度は置いておくとして。

 

一億総ご意見番社会、滅びればいいのに。

コマーシャル

テレビをリアルタイムで見るときというのはだいたい野球中継に限られるのだが、WBCのおかげでここ数日間はこれでもかとコマーシャルを見続けた。毎度毎度同じものが流れるのだから内容を覚え始めるのは当然として、どうもエンターテイメントに寄りすぎてる印象だけが今残っている。構成は覚えているのに会社名や商品名はインプットされていない。最後に名前だけ出されてもね。

 

マツケンサンバのイントロは好きだがどこのメーカーのビールだったかは知らないし、海外留学の見送りすらしない親への疑問は浮かぶが何の宣伝なのかは一切伝わってこない。指定位置へ若干遅れながらも踊りながらカメラ目線をキメ続ける櫻井翔は少し滑稽だが、あれはガンホーが野球そのもののスポンサーであるしパズドラだと理解された上で映像を繰り出し続けている。というかボール持ってるし。野球を知らなくとも侍ジャパンの選手が投げたり打ったりしている。

 

例は留めておくとして、さらに気になったのはハイブリッド車のコマーシャルだ。「ガソリンでも走れる」とか言っていた。えっ、2017年現在ガソリンで走れない車があるのか?軽自動車だから軽油のみで走るとかいうあれか?馬車か?土地柄不向きであるのに観光用に設置されている人力車か?まあ電気での走行をアピールしたいのだろうが、ほ、となった。印象勝負なので虚をつくというのは重要になってくる。あくまでも相対的に。

 

どの家庭でも大抵の生活用品が一定の水準で揃うようになり、テレビで大々的に宣伝できるような商品には、ブランドの乗り換えまでもを促す他社製品との差異もなかなかつきにくい。価格も拮抗するし、やけに安いと安心が損なわれるおそれがある。だから消費が停滞するのだとかそういう話ではなく、宣伝はもうメーカーの名を知らせるだけだ。あるいは思い出させること。慈善事業なんかがその根本にあったりするのだろうが、消費者側からすれば別にどうでもいい。ただ、表面上は気にする人が多い。しかしワタミを意図的に避ける人は多いかもしれないが、名前を変えれば気づく人は少ないわけだ。いちいち調べることに労力など割いてる暇はない。消費者が知りたい情報は、スペック。

 

ようやく本題。ジャパネット。知識がなくともなんだか凄そうな商品に見えるし、なんだか安そうに見えるし、なんだかすぐに売り切れてしまいそうだ。電話というワンクッションさえなければ買ってしまいそうだ。いらないけど。しかし誰もがその名を知り経営が続いているということは、確実に売れている。

 

ジャパネットは顔が見えることによるメリットを相当に受けていると思われる。フェイスtoフェイスでの語りはどうしても人に響きやすいし、信頼を得やすい。それに、責任のなすりつけ先が目の前に見えているというのも大きい。よく分からない健康食品が胡散臭く見えてしまうのは商品そのものへの疑いもあるが、芝居掛かった使用者を誰が信頼するのかという話である。ジャパネットはコマーシャルが生命線であるから直接利益につながる手法がとられるし、消費者にもそれが見えることによって実績に信頼が伴う。その繰り返し。

 

どこかの団体が唱えるような放映上の倫理が拡大してしまえば印象勝負はより一層拡大するだろうが、ある種野蛮な構成の方が利益の根本的な拡大を図る企業にとっては都合が良い。綺麗な映像や奇抜なショーを作っている場合ではないのだ。すでに名声を得ている企業は忘れてもらわないために現状を継続させるだろうしそれで十分だが、これからコマーシャルを放映するであろう例えばインターネッツを介した事業、倣っているようではダメなんだなあ。

二度寝して頑張る(何を?)

会話をしたことはないけど存在を知ってる人が亡くなったと聞いた。70代だったらしく、まあそのあたりから死に加速度的に近づいていくのかなあと現実味もなく想像する。解放されたんだなあとも思ったし、悲しいなあとも思った。

 

何か新しいことに取り組んだり未知の分野に一歩踏み出したりするたびに、これは貴重であると同時に永久のものではないんだよなあと眠たくなる。無気力。楽しいことは楽しいし、楽しくないことは楽しくない。しかしトレードオフにはならず、楽しいことをいくら噛みしめても辛いものは絶対的。WBCは思いの外楽しんでいる。

 

生活の意味は?飛行機は移動のために存在し、飛んでいるからこそ次の瞬間も飛ぶことができるわけだが、人間の目的は?空腹にはなるし、髪は伸びるし、体力は落ちる。これらを解消することではない。多分。これこれこういう体験をしました、こんなものを得ることができて、成長できました。そんなことを他人に話す機会がそのうち来るのかと思うとうんざりする。

 

生活の最大瞬間風速は二度寝の時に計測されるのではないかなと振り返る。絶対的で普遍的な幸せ。ただ、何のために寝るのかというと疲れを取り除くためで、その疲れはどこからやってきたかというと生活で。生活によってなされる二度寝は生活から遠ざかろうとしているが次の生活の源をまた生み出している。辛いなあ。でも空腹も辛い。

 

n時間寝続けたとして、他人がそれを見たとき死と何が違うのだろうか。目覚めとか脳死とかそういうことじゃなくて、外から見たときの身体の支配下の意識というか、もっと機能的な何か。夢を見ずに眠っていることに自ら気づくことはできるのか?すぐに忘れてしまう。あれ、意識の支配下の身体?社会の支配下の人格?

 

民衆の脳に数え切れないほど姿を現した道筋が自分にも巡って、一方的にそれを少し文字にアウトプットすることで頭の中が少し壮大になる。すぐに戻るけど、現実でこんな話をしたら全体の幸福度が低下する。壮大の対義語ってなんだろう。まあ、その民衆らの生活、意識、死を確認することはできないわけで、たちまち誰の記憶からも消え去り、有ったかもわからなくなる。自分の先祖もろくにわからない。今ある自分と社会は過去のエネルギーを要素として成立していることはわかるから、まあ有ったのだろう。集合が哲学になるには何年かかるのだろうか。頑張って生きよう。ネクストのジャネレーションをクリエイトするため?わからない。森友学園とか無理に盛り上げられてるけど、あれは人類が滅亡すべきだとしか感想がない。とりあえずカメラの練習がてら、動物園に行こう。けものフレンズと特に関係はない。

 

ブログ、ほんの一瞬を記録できるツールだなあ。明日にはこのアウトプットも変化している。

LUMIX DMC-FZ1000

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カメラの優先順位は高くない、と鴨の記事で書いたがそれが却って購入意欲を押し上げてしまった。eos kissくらいでいいかと初めはろくに調べもせずにいたが、下手に安い一眼を手にしてしまうとレンズキットでは満足できなくなってしまうのが目に見えていたし、そもそも本体がチープに思えたので僅かな知識をもとに色々考えた。

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野球がメインになることしか想定されていなかったとはいえ、それなりの広角も欲しいのでいきなりレンズ2本を買うことになってしまいそうな一眼はパス。ネオ一眼。P900とかFZ300とかFZ85とかを見つけるも、後で買い足しできないしどうせ買うなら画素数多い方がいい(望遠だけ強くても仕方ない)よなとFZ1000へ。

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ここで数万の上乗せに悩むも一度心が決まるとあっという間。パソコンもゲームハードもスピーカーもヘッドホンも思い立った二日後には注文しているし思い切りは結構あるのでは。どうせどちらを買っても悩んだ分だけ青く見えてしまうのだ、家電量販店でテレビの色味の違いを確認しても家では気づけない、そういうことです。

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技術はまだない。