階層とTwitterと公

同調圧力の枠内に存在したくない、と集団から距離を置こうとする意思は誰にでもあるものだろうが、その集団から下層に対してもその文化の基準に照らした意見が生じていることについては理解されてないように思う。あなたをけなしているわけではないよ。中学生の頃に陰謀論に魅力を感じるのと同じことです。

 

特にTwitterなんかはそれが顕著で、たくさんのリツイートを稼いだツイートを見るとそれが社会人の内心を見事に突いていると思い込んでしまうわけだ。もちろん日々規模が拡大していることを踏まえるとしても、3000でも5000でも10000でも関係はない。Twitterという環境そのものが社会から一段階(半段階)ズレて成立しているもので、その中にも階層が存在しているだけである。お気持ち表明の基準が、内容的にも道徳感情的にも異なる。階層間には目に見える隔たりがあり文化や様式は異なる。全く悪いことではないけれども、結局は階層内での確認作業に過ぎない。

 

労働者は性善説に生きているのだから劣悪な環境で当たり前、アフィリエイト・転売は絶対的な悪、倫理観の欠けた言動の責任は地位の放棄でしか許されない、など様々なマジョリティが形成されているが、アーティストに正当な対価が支払われていない、音楽の著作権保護団体の新規活動は無条件で敵、のように全く別の視点からの意見が共存している時点で一つのコンセンサスが形成されている集団とは言えない(ただしこの件については底の浅さが知れているとも言える)。ちなみにネコは神らしい。

 

アニメ批判をする芸能人は叩かれるべき対象だ、というのもあるがこれは全く目が見えていない。輪から外していたはずの除け者らが許可を得ることなく勝手に文化を形成し盛り上がっているために牽制をしているのであって、その文化の内容には全く興味を示していない。階層間の覗き見程度の話である。全く同じ構図はどの階層にも数多見つかるわけで、特別大きな問題として互いに言いがかり的な批判を続けることは無駄そのものだ。

 

だからこそ、Twitterの発言には責任を持つ必要がないし、誰かの気をひくような発言を意図的に目指す必要もない(人生は?確かに同じことのような気もするぞ)。そこに企業や有名人が公の意識を持ち込んだせいで、階層が入り混じり平等に不幸が蔓延する結果になってしまった。もちろん「公」だけでなくコンテンツとしての数量的な時間と発展の問題も底にはあるが、新参者に対してその階層構成者の全体がある程度攻撃的であることは、階層内の平穏を保つに不可欠な要素と言える。

 

階層内にヒエラルキーが存在した上で攻撃的であればそのコンテンツは次第に消滅するだろうが、共通認識として壁を補強することは不当ではない。なぜなら共通認識としての基準に足りるまで階層を覗き見しながら様相を伺うことはできるのだから。そこで調子に乗った新参者が平穏を保つための攻撃性をメガホン片手に批判し、その所属集団から一定数の同意が得られると、階層間戦争が勃発してしまう。民主主義は崩壊してしまう。構成者が不満を秘めている場合ではない限り、コンテンツの混沌は新参者によってもたらされる。別の文化の型にはまっている人間がその常識を振りかざして殴るのだから、救いはない。皆等しく堕ちていきましょう。

 

現に社会の常識を当てはめられたからこそ、ツイートで逮捕されてしまう。大衆の意向次第で個人情報が特定されてしまう。社会から切り離されるための利用が、いつの間にか制裁を加えられるために社会基準で評価される。あなたはいつだってどこだって社会基準の評価を受け続けなければならない訳です。辛いなあ。

 

構成者の一人としてできることは、バカを無視すること。政治的な意見を述べてもいいし、主語を大きくして特定の個人を叩いてもいいし、感性に沿った絵や写真をアップロードしてもいいし、コレクトネスに配慮しなくてもいいし、事実確認を怠った発言をしてもいいし、マーケティングをしてもいいけれど、バカは無視しなければならない。